Youtubeで不動産コラムをながら聴き

初めてのアメリカアパート投資で大変な目に遭った話

 

最初の不動産投資

 私が今の教会を始めたのは1995年のことです。当時、私は、とても大きな教会で牧師の一人として働いていたのですが、日本語をしゃべる日本人が15人ほど来ていたので、彼らと日本人教会を始めようということになったわけです。

少人数での立ち上げでしたので、教会から十分な給料をもらうことはできないと思い、教会員の不動産屋さんに助けてもらって、全財産をはたいてヒューストン郊外の田舎にアパートを買いました。当時のテキサスは、オイルショックからまだ十分に立ち直っておらず、ホノルルの平均的な一軒家の値段で、16戸入りのアパートを買うことができました。そこからの収入を生活の足しにしようと思ったのです。

思いも寄らない災難・・・

 買って間もないある日、車を運転しながらラジオを聴いていると、テキサスの大洪水のニュースが聞こえてきました。最後にレポーターの人が、「モントゴメリー郡のコンローからお伝えしました」と言ったのですが、どこかで聞いたことがある地名だなと思いました。はっと気がついてアパートの管理士に電話したところ、やはり浸水していました。買ったときに調べたお役所の書類では、百年の一度くらいの大雨が降らないと洪水にはならない場所だと書いてあったのですが、実はこの地域、開発過剰でほとんどの毎年のように洪水が起きるようになってしまったのです。

それだけではありません。雹が降って屋根を直したり、管理士がお金を盗んでいたりしたこともありました。火事にもなって、火元のおばあちゃんが、住めなくなって引っ越すから敷金を返してくれと言ったときには、怒ったら良いのか笑ったら良いのか迷いました。下水溝が詰まって、汚い下水が湧き出て洪水になったこともありました。しかし、下水溝を管理している市は、責任を取ってはくれません。

ありとあらゆる天災と人災が起きて、生活の足しになるどころか、毎年赤字を補填しなければならなくなったのです。私は、そのお金を得るために、通訳の仕事を始めるようになりました。

通訳の仕事

 6年後、私は日本で2週間の通訳の仕事をしていました。行ってすぐ911があったのですが、帰る頃には飛行機も正常に飛んでおり、問題なく帰ることができました。帰る前日の土曜日、家内に電話をしたところ、ある弁護士から、帰ってすぐ月曜日から2週間の裁判の通訳をしてほしいと言う電話があったと言うのです。私は、ぼろぼろになったアパートの修理と、新しい管理士探しのためにヒューストンに行くことにしていましたので、その弁護士に電話をして、裁判所の仕事は非常に報酬が安く、それを2週間もすることはできないと言うメッセージを残しておきました。

 ハワイに帰った日曜日の夕方、その弁護士から電話があり、明日は頼むと言うのです。できないと言っておいたはずだと言うと、「法廷通訳の資格を取るともっとよい報酬がもらえる、あなたは上手だから月曜日に問題なくすぐ取れる」と言うのです。とにかく月曜日は裁判の準備だけだから来てくれというので、行って、裁判長に私が通訳をするということを言って、ヒューストン行きは2週間延期することにしました。

 ところが裁判所のオフィスに行ったところ、法廷通訳の資格はそう簡単に取れるものではなく、日本語に関しては取っている人は多分ハワイに一人もいない、と言われたのです。私は弁護士に、「あなたは嘘を言いましたね、明日からの通訳は他の人に頼んでください」と伝えて、翌日ヒューストンに行きました。

現地で奮闘

 誰も知らないヒューストンに着いて、私は家具なしのアパートの空き部屋でキャンプすることになりました。着いた日、アパートの前の道に工事をした跡があるのに気がつきました。アパートの隣に水路があって、それが道の下の直径50-60センチの管を通って道の反対側の水路に流れるようになっているのですが、その管の隣に、直径1メートル以上もある新しい管が埋められていたのです。この管が小さかったので、雨が降ったときにここに水が溜まってアパートが浸水していたのですが、これで問題が解決しました。着いたばかりでこれからどうなるのだろうと心配していた矢先でしたので、嬉しくて神に感謝しました。

 翌日、管理士の事務所に行きました。彼は、このアパートには問題が多すぎて全然儲からないと言って、管理を放棄してしまったのです。私は管理の引継ぎをして、その年の6月に起きた洪水の保険がどうなっているか聞きました。保険会社の電話番号をもらって電話をしたところ、明後日までに連絡がなかったら、何百万円もの保険金を放棄するところだったと言われました。裁判の通訳を断って来たおかげで保険金申請がぎりぎり間に合ったことも、神の導きだったと感謝しました。

管理士との出会いと導き

 保険金と、通訳で貯めた全財産を修理代に当てたのですが、毎日のように何十万円ものお金が出て行くので、ヒューストンでの一ヶ月間は、とても心細いものでした。私は、修理をしながら管理士を探していたのですが、3人の候補者がいました。自分が地元に住んでいませんので、信頼できる管理士に頼むことがいかに大切であるかは、身をもって経験していました。誰にするか決めて、電話をしようとしたのですが、確信がなかったので祈りました。「神様、これからこの人に電話して管理を頼みますが、もし私の選択が間違っていたら、私を止めてください。」こう祈りながら、何と言う変な祈りだろうと思いました。自分でこれから電話しようとしているのに、神様はどうやってそれを止めることができるというのでしょうか。祈り終わって電話をしたところ、留守だったのでメッセージを残しておきました。

 そのすぐ後、修理をしている人から、材料を買わなければいけないので一緒に来てくれと言われました。彼とは結構仲良くなっていたので、管理士を選んだことを話しました。彼が浮かない顔をするので、どうしたんだと聴きましたが、答えようとしません。でも何かあると思ってしつこく聞き出したところ、その管理士に関しては良くないうわさを聞いたと言うのです。その人について知っていそうな人に電話をして聴いてみたところ、その人にも同じことを言われました。前の雇用者を知っているから電話してみろと言われて、かけてみたところ、感じの良い女性が、その人の名前を聞いたとたんに態度を変え、「その方に関しては以前ここで働いていたということ以外には何も答えられません」と言って電話を切りました。神は、私の無理な祈りに答えてくださったのです。

 私は別の人に管理を頼み、残った修理は彼女に監督してもらって、ハワイに戻りました。彼女はほぼ満室にして、翌年、まずまずの値段で売ってくれました。私たちは、この7年間の大半を、ホノルルで一番安い古くて汚いアパートで過ごしたのですが、アパートを売ってできたお金を使って今の家を買いました。

 例の裁判は、結局3週間かかったらしいのですが、後で裁判長から出頭命令を受けました。裁判をすっぽかしてしまったからです。弁護士は、代わりの人を頼んで火曜日の朝から来てもらったので、問題はなかったのですが、私はお叱りを受けました。その弁護士も来るはずだったのですが、彼はいませんでした。私が事情を説明したら、まずいことになるかもしれないと思ったのでしょう。ところが、検事が来ていて、何と検事が私の弁護をしてくれました。

 誰も知らない町で大金を使ったこの一ヶ月間は、とても心細いものでした。修理屋さんも、人によって言うことが全然違い、誰を信じてよいのかも分かりませんでした。しかし、これほど神様が近くにいてくれると感じたこともありませんでした。

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