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ジーン・パウエル先生を送る会に参加して(1938~2022)

出会い 

2000年10月のある朝早く、シカゴの通訳派遣会社から、その日から3日間、ワイキキでセミナーの通訳をしてくれないかと言う電話がありました。随分急な話でしたが、何か手違いがあったようで、通訳の手配を前もってしていなかったようです。

 当時、私は病院や警察などで通訳をする非営利団体で働いていましたが、自分が通訳であることを宣伝していたわけではありませんので、どうやって私の連絡先を見つけたのかは知りません。たぶん、誰かほかの通訳に問い合わせて、その人ができなかったので、代わりに私の連絡先を教えてくれたのでしょう。私はすぐに準備をして、ワイキキに行きました。

 そこで待っていたのが、IREM(全米不動産管理協会)の講師、ジーン・パウエル氏でした。彼は、12人ほどの日本の不動産管理業者に、不動産管理士の職業倫理の講義をしてくれたのですが、参加者全員、大きな感銘を受けました。

 彼らは、11月にもサンフランシスコで金融に関する授業を受けたのですが、その時の通訳があまり上手ではなかったそうです。授業内容がさっぱりわからないので別の人に代わってもらったのですが、それでもあまり通じませんでした。

 翌年、IREMジャパンの前身JREMが発足しました。IREMのCPM(Certified Property Manager)認定不動産経営管理士の全授業を、米国で受けるのではなく、日本で始めることにしたのです。JREMは、日本で大々的に授業を始めるにあたって、サンフランシスコで起きたようなことがあると困るので、旅費を払って私を呼んでくれるようになりました。

その後

 当時、私は不動産投資をしながら牧師をしていました。私は、教会の献金の半分近くが私の給料に使われていることが心苦しく、給与を辞退したばかりでした。とは言え、私が所有していた2LDK16戸のアパートは毎年のように天災人災が続き、赤字が続いていたのです。通訳派遣の非営利団体の仕事は、社会奉仕を兼ねてやっていたのですが、アルバイト程度の収入しかありませんでした。

 しかし、JREMからその全授業の通訳と教科書の翻訳を頼まれたおかげで、私の経済状況は一転しました。何のあてもなく教会からの給料を辞退したのですが、絶妙のタイミングでした。

 こうして、毎年パウエル先生や他の米人講師の授業の通訳をするようになりました。他の授業は、日本人講師も誕生して、私の出番は減りましたが、倫理の授業だけは彼に続けてもらいたいと、みんなが思っていました。10年以上続いたと思いますが、年齢的に継続することが難しくなりましたので、日本人講師が倫理の授業も教えるようになりました。

 その後も、当時の生徒さんたちとの私的な交流は続いていましたが、今年9月、心臓手術後、そのかいもなく、亡くなりました。11月5日に彼の「人生を祝う会」が開かれ、日本からは、IREMジャパン元会長の山本泰然社長と、河野守邦社長と私が出席しました。このような会に海外から参加者が来るような人は、そう多くはいないでしょう。百人近くの家族やお友達が参加していましたが、皆本当に親しくしていた方々ばかりで、義理で参加していたような方はいませんでした。

ジーン先生の生涯

 彼は、私たち夫婦が5年過ごしたセントルイスで生まれ育ちました。ご両親が離婚し、高校生の時から自活を強いられたそうです。しかし、高校のアメフト、野球、バスケットボール部のキャプテン、学校新聞の編集長、討論クラブ部長、生徒会長を務めたほど、若い時からリーダーシップを発揮した人でした。また、両親に関して愚痴を言うこともなかったそうです。

 彼は、群を抜いたアスリートでしたが、スポーツではなく、その成績のゆえに、アイビーリーグの一つであるダートマス大学に、全額支給奨学金をもらって入学しました。アイビーリーグは、ハーバードやエール大学なども入っており、日本でいう東京六大学のようなものです。

 彼は、大学を卒業したのち、セントルイス・カーディナルズと契約することになっていました。ポジションはショート、契約金は、当時としてはかなり高い$10万だったそうです。米国に、予備役将校訓練団(ROTC)と言うのがあり、多くの学生が参加しますが、彼はパラシュートの訓練中、事故に遭い、腰を痛めて野球人生を断念しなければなりませんでした。

 彼は、後に米国最大の居住系不動産管理会社の社長になりましたが、弁護士や政治家を相手にすることが増え、あまり面白くはなかったと言っていました。結局、その会社を辞め、自分で不動産投資を始めて、富を築いたのです。彼は非常に聡明な人ではありましたが、彼の成功の最大の理由は、彼の正直さと誠実さだったと思います。彼は、一度も訴えられたことがないと言うことを自慢していましたが、彼の会社の規模を考えると、これは驚くべきことです。

残してくれた教訓

 彼の倫理の授業の中で、経験に基づいた実話をいくつも聞くことができましたが、今日はその中から二つお話ししたいと思います。二つとも、カーペットに関する話です。最初の話は、教訓としてではなく、単に笑える話として共有してくれました。

 彼の管理会社は、管理物件のために巨額のカーペットを購入していました。あるカーペット製造会社が、プライベート・ジェットで、彼と社員二人を迎えに来て、会社に招待してくれました。その晩、ホテルのドアをノックする音が聞こえたので開けてみると、若い美しい女性が立っていたそうです。聞くまでもなく、カーペットの会社が雇った売春婦でした。

 これに甘んじると、クライアントにとって最善の取引をすることができなくなりますので、彼は丁重にその女性のサービスをお断りしました。もう一人の社員も同じことをしたそうです。しかし、3人目の社員は、カーペット購入の意思決定には関わらない立場でしたので、「ご厚意」に甘えて問題ないと判断したのです。断られた二人の女性も、そのまま帰るわけにもいかず、この3人目の社員の部屋に合流しました。と言うわけで、このラッキーな社員、3人の高級娼婦と一晩過ごすことができたと言うわけ。

 もう一つの話は、授業内容にもっと似通ったものでした。年末のある日、カーペット製造業者から、すべてがパックされたハワイ旅行二人分が送られてきました。カーペットをたくさん購入してくれたので、そのお礼だと言うことでした。しかし、これを受け取ると、来年もハワイに行きたくて同じ会社から購入したと疑われる可能性がありますので、どうすればよいか考えました。

 そもそも、カーペットを購入したのはオーナーたちです。そこで、オーナー全員に手紙を書き、事情を説明し、くじ引きでどのオーナーにこの旅券を上げるか決めたいと思うが、それでよいかどうかを聞いたのです。

 多くのオーナーは、そんなことしなくてもいいから、あなたが使ってくださいと言う返事でした。しかし、そうして欲しいというオーナーもいましたので、くじ引きをすることになったのです。権利放棄をしたオーナーは、オーナーの名前の代わりに、管理会社の社員の名前を書き込みました。彼は、自分の名前はくじ引きの中に入れなかったそうです。こうして、彼の社員にハワイ旅行が当たりました。

 どちらの話も、不動産管理で最もよく問題になる利益相反の例話です。高級娼婦の話は、誘惑自体は強かったと思いますし、それを断ったと言うことは素晴らしいことですが、断るべきだと言うことは誰にでもわかると思います。しかし、後者の話は、そこまでして利益相反を避けると言う彼のバカ正直さに感嘆させられました。私だったら、そんなこと思いつきもしなかったでしょう。

 彼の正直なビジネスに心打たれた日本人会員の皆さんが、私も含め、日本でもそれを引き継いでいくことができるよう、願っています。彼の教訓に与れたことを、光栄に思っています。彼こそ本当の正直不動産ですね。

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ジーン・パウエル先生を送る会に参加して(1938~2022)
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