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タイで11回目のボランティア旅行:メソトの特殊詐欺事件

 私は時々個人的なブログもアップしていますが、3月にタイのメソトの孤児院でボランティアをしましたので、ご紹介したいと思います。今回のチームは、家内、常連のNさんとHさん、前回から参加してくれるようになったY君、以前私たちのハワイの家でホームステイしたS君の6人です。

メソトで危うく拘束

 最近、今まで日本人にほとんど知られていなかったメソトというタイの小都市が一躍有名になりました。川を挟んだ向こう側は内戦中のミャンマー。そこに日本人を含む世界各国の人たちが強制労働をさせられていました。私たちは10年以上メソトの教会が運営している二つの孤児院をサポートしていますが、この事件は私たちには影響ないと思っていました。

 夜行バスでバンコクからメソトに向かったのですが、夜明け前、メソト市に入る前に入国管理のチェックポイントに来ました。6人チームの中の4人がこのバスに乗っていたのですが、特殊詐欺事件のおかげで、日本人は怪しまれるのです。実際、私たちの滞在中、ホテルを予約していなかった40代の日本人男性がここで止められ、強制退去させられたと報道されていました。バスを下ろされて尋問が始まり、バスは先に行ってしましました。

 私たち夫婦より、まだ若いHさんやS君が質問攻めです。やっと私も「Youは何しにメソトに」と聞かれて、ジョン牧師の教会に行くと言ったら、そこにいた一人の男性が彼のことを知っている様子です。この男性は、他の人と違って、制服を着ていません。田舎のおじさん風の人でしたが、どこかで見覚えがありました。彼がジョン・スリウィッチャイ牧師に電話してくれて、すぐに疑いが晴れました。

 夜行バスのメソト到着予定は8時半でした。これはバスが遅れたというクレームを避けるための方策ではないかと思うのですが、実際に着くのはその4時間前です。前回バスで来たときは、そんなこと知らなかったので、真っ暗闇の中で、自分がどこに着いたのかもわからない状態でした。そんな早朝タクシーが拾えるかどうか不安だったのですが、すぐにジョン牧師が来てくれて逆に助かりました。

 彼の話によると、彼のことを知ってた田舎のおじさんは、タイ市民ですがカレン人で、ミャンマーのカレン軍で政府軍相手に戦っているとのこと。以前、カレン人の村に布教に行ったときに会ったおじさんでした。こんなこと、ここでばらしてしまっていいのかどうかわかりませんが、後で、彼が銃を持っている写真や、武器弾薬などの写真を見せてくれました。彼はなぜそこにいたのかは分かりませんが、入国管理に協力していたのでしょう。

卒業式

 着いたその日が中学高校の卒業式。今年は、孤児院から高校を卒業する生徒が二人、中学も二人です。中学の卒業生の一人は、私の知り合いが個人的にサポートしてくれているKちゃんですが、自分の村の高校に入ることになり、孤児院を出ます。高校を卒業するMちゃんは大学に進んで看護学部に、私のもう一人の知り合いがサポートしているFちゃんは看護助手になるために半年間、学校に通う予定です。

 Mちゃんは国から4年間奨学金が出ます。Fちゃんはミャンマーからの難民の娘で、市民権がなく、国からの援助はもらえません。しかし、私の知り合いがごく最近まで働いていたチェンマイのキリスト教NPOから学費と家賃の奨学金をもらえることになりました。

 3人しかもらえない奨学金に100人の応募があったそうですが、彼女はタイの田舎の少数民族としては珍しく英語が上手で、優秀なのでしょう。滞在中も、毎日のようにFちゃんに通訳をしてもらって、本当に助かりました。ちなみにFちゃんはカレン族とモーン族のハーフです。

 でも、Fちゃんは、本当は4年制の大学に行って、看護師になりたいのです。半年の間にアルバイトを見つけて、自活しながら勉学を続けることを望んでいます。少しでも助けになるようにと、Hさんが生活費として月6,000バーツ(27,000円)サポートすることにしました。私の家内もフルタイムで働きながら夜学を卒業したと言う話をして励ましました。

中央がFちゃん、右は中学を卒業したCちゃん、左は中学を卒業して、里の高校に行くことになったKちゃん

キャンプ

 春休みに入ってすぐ、子供たちと一泊二日のキャンプに行きました。春休みと言っても、タイは夏が早いので、こちらでは夏休みです。新学期が始まるのは5月です。車で3時間ほどのダムで、大きないかだに45人泊まりました。曳航船に引っ張ってもらって、湖の中央にある小島に接岸。泳いだり、カラオケをしたりして楽しみました。

 私は、子供たちに3回話をするようにと頼まれていました。親がいない、あるいはいても育てられない貧しい子供たちです。また全員少数民族で、中にはミャンマー人で、タイの市民権がない子もいますが、神がすべてのことを働かせて益としてくださると言う聖書の話をしました。子供たちにも自分の体験談を話してもらい、泣き出す子もいました。みんなと今まで以上に仲良くなれてよかったです。

ダムでできた湖に浮かんだいかだで記念写真

Fちゃんの結婚

 私たちの滞在中、以前私がサポートしていたFちゃんが結婚しました。先述したFちゃんと同じ名前なので、そのことを伝えたところ、二人は同じ村の出身で、知り合いだそうです。

 結婚したFちゃんは、去年、お母さんが焼き畑をしていてひどい火傷を負い、亡くなりました。お父さんに虐待されていたことが原因で孤児院に入ったFちゃんは、お母さんを慕っていましたので、とても辛い出来事でしたが、これで幸せな生活が始まることを願っています。今年も、近隣の山々で焼き畑の煙が上がっていました。

結婚したFちゃん

孤児院の修理

 今回初めて参加したS君は、壊れた物の修理が得意です。今までも、お金を渡して孤児院の修理をしてもらうことはよくありましたが、今回は、自分たちで直すことができました。おかげで、充実した毎日を過ごすことができ、子供たちにも手伝ってもらって、より仲良くなれました。以下は、直したもののリストです。

 台所の屋根の葺き替え、裏口の日よけの設置(これらは費用を出しただけ)。

 倉庫の屋根の葺き替え、コンセントの取り換え、自転車数台、網戸と窓の網十数枚、蛇口二つ取り付け、洗面台3台の下水パイプの取り付け、詰まったトイレと下水溝の修理、ドアノブを数個、ドアを新しく3枚。

 バスルームのドアは4~5センチ高すぎたので切らなければいけませんでした。裏口の2枚のドアも幅がちょっと広すぎたので、こちらの方はドアの木枠を削りました。大きさが違うなんて、日本やアメリカではありえない。

 そのほかにも、食事と勉強に使っているテーブルが古いので、新しいものを買ってあげようと思ったのですが、既成のものはすぐに壊れると言うので、鉄骨や板を買って大きなテーブルを二つ作りました。大きな子供用と、小さな子供用です。鉄骨を切って溶接する作業は、子供たちを世話している夫婦のご主人、パットさんが全部しましたが、大変よくできました。既製品を買うよりは費用がかかりましたが、ずっと長持ちするでしょう。

網を張り替える作業を手伝う子供たち

地震

 松山に帰った翌日、ミャンマーで地震がありました。メソトはミャンマーとの国境にありますので、バンコクよりも揺れたと思います。チームの一員であるNさんは、一人残って、メソトより震源地に近いチェンマイの友人を訪ねていたのですが、慌てて泊まっていたマンションから飛び出たそうです。

 私たちの知っている人やその家族知人の中で、怪我人はいませんでしたが、帰省したFちゃんの近所の家が倒壊したそうです。私たちの教団の教会はミャンマーにもありますが、牧師たちは全員無事だと聞いて、安心しました。宣教師のマイクさんの家はひびが入ったそうですが、構造上の問題はないそうです。

 今回の地震で最も大きな打撃を受けたのは、もちろんミャンマー人です。特にメソトに隣接する地域は、特殊詐欺が見つかったことで、観光や輸出入が激減していましたので、泣きっ面に蜂です。中国資本でホテルやカジノが増え、飛行機でメソトまで行ってミャンマーに入国するのだそうです。カレン軍とミャンマー軍は、停戦することによって戦況が不利になることを恐れて、特に政府軍の爆撃などが続いているそうです。

Nちゃんの教室

ミャンマー人の孤児院

 チームメンバーの一人で、何回もタイに来ているNさんは、数年前メソトの郊外で孤児院を運営しているエルジョンさんと知り合い、みんなで訪ねてみることにしました。敷地は大きく、元牛舎や、倉庫のような建物がありますが、家自体は決して大きくはありません。家賃は月1万バーツ、44,000円ほどだそうです。この小さな家に、自分の二人の子供以外に12人のミャンマー人を育てています。

 全員が孤児であるわけではなく、最近は、戦闘を避けるためにタイに逃げてきた子が多いそうです。今は夏休みですが、子供たちが里帰りするのは危険ですので、逆に3人のお母さんが訪ねてきて、この狭い家に泊まっていました。ベッドはなく、硬い床に薄いカーペットが敷いてあるだけです。

 タイでは、孤児院で男女が同じ敷地内に住むことが禁じられています。孤児院と言っても名ばかりで、寄付だけもらって子供たちの世話をろくにしていないところもあります。孤児院が人身売買に関わっていることさえありますので、厳しく規制しているのです。

 この孤児院は男女が同じ棟で寝泊まりしていますので、政府からの認可は受けていないものと思われます。エルジョンさん夫婦が、個人的に始めたのでしょう。エルジョンさんはインド系の少数民族、奥さんはミャンマー人ですので、二人ともタイ語が話せません。とても大変だとは思いますが、ご夫婦も子供たちも、笑顔に満ちていました。

エルジョンさんの孤児院

ミャンマー難民のサポート

 宣教師のマイクさんが英語を教えている小学校に、3人のミャンマー難民の孤児がいます。彼らは、学校の給食を作っている夫婦の家に住んで、給食作りを助ける代わりに、生活費を賄ってもらっています。その一人、K君は、金色の箔を使ったタイの象の絵を作って、生活費の足しにしています。私たちもいただいたのですが、購入なさりたい方は一つ$30です。送料でほとんどなくなりますが、残ったお金は彼らのサポートのために使われます。

 もう一人のMちゃんは、今年小学校を卒業しましたが、中学の寮には外国人枠が少なくて、入れそうもありません。小学校しかない村の子供たちが入学できるように、中学にも寮があるのです。寮に入れなければ、どこかほかに住む場所が必要です。

 Mちゃんのスポンサーになる人が見つかれば、孤児院に住んで中学に進学できます。進学できなければ、タイに住むビザを取る資格もなくなり、ホームレスです。実際、3年前までは、ホームレスでした。

 サポートの額は月100ドルなのですが、前回参加してくれた後藤さんに連絡したところ、快く引き受けてくれました。彼は、私が属している全米不動産管理協会の会員で、私が講師をしている認定不動産投資顧問協会日本支部の会長を務めたこともあります。ほかにもサポートが必要な子供たちがいますので、ご興味のある方はご連絡ください。

K君が作った象の絵、左から宣教師のマイクさん、家内のキャシー、私、Nさん、S君、Y君、Hさん

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タイのメソトの孤児院でボランティア:特殊詐欺事件の影響
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