✈️ 出発までの経緯
去年2月、私はたまたま母の教会を訪ねました。普段は103歳の母の介護で日曜日の礼拝には出られないのですが、その日は東京に行かなければならない用事があり、母にショートステイに入ってもらったのです。ショートに入るときはいつも朝迎えに来てくれるので、その後教会に行って、礼拝後、空港に行きました。
教会では、母が元気にしていることを伝え、翌月タイに行くことを話しました。私のハワイの教会は、同じ教団のタイの教会が運営している孤児院を全面的にサポートしてきました。しかし、私が母の介護で牧師を辞めたので、私の教会は同じ教団の別の教会に合流することになり、今年の3月までの運営資金を渡したら、その後はもう続けられません。そのため、後を引き継いでくれる教会、あるいは人を探しているという話をしました。
その教会にSさんという中小企業の社長さんがいます。忙しい方で、日本だけでなく、世界を駆け巡っており、教会に来ることはめったにないのですが、その日はたまたま来ていました。その彼が、礼拝後、金額がいくらかも聞かないで、サポートを買って出てくれたのです。多分翌年も3月に行くと思うので、もしよければ一緒に行きましょうという話をして別れました。正に、神の摂理による導きでした。
こうしてSさんは、お子さん二人と仕事仲間を一人連れて来ることになりました。そのせいもあり、今年は過去最高の11人のチームメンバーが日本やハワイから集まりました。
孤児院はメソトというミャンマーとの国境に面した市にあり、国境の向こう側は、去年特殊詐欺事件で有名になったところです。そのため、今年も取り締まりが厳しく、4人がメソト市に入る直前の検問所や、メソト空港で止められ、教会の人に迎えに来てもらわなければなりませんでした。私は年寄りなので無視されました。
しかし、今年の最大の問題はホルムズ海峡閉鎖によるガソリン不足。6人はレンタカーやハイヤーできましたので、ガソリンが買えるかどうか不安でした。特にメソトはほかの市に比べて不足しがちで、ガソリンスタンドには車やトラックの長蛇の列。幸い、全員無事に往復できました。
🎓 卒業式とキャンプ
いつも3月に行くわけではありませんが、3月は卒業式があります。去年も卒業式に出て、その後、孤児院の子供たちをキャンプに連れて行ってあげました。それが良かったので、今年もそうすることにしたのです。キャンプと言ってもダムでできた湖の小さな無人島。大きないかだを曳航船に引っ張ってもらって岩場に着岸し、寝泊りや食事はいかだの上です。
一泊二日で、2回子供たちに話をするように言われていたのですが、二日目は卒業する子供たちに話してもらいました。彼らは、キャンプの翌朝、里の村に帰り、長い夏休みを過ごしたり、進学する子はその準備をしたりします。タイは4~5月が一番暑いので、3月末から夏休みなのです。
みんなと過ごせるのはこの日が最後ですので、みんなへの気持ちを話してもらいました。高校を卒業して大学に進学する子が三人と、中学を卒業して、何らかの理由でほかの市の高校に行くために孤児院を出る子が三人です。
最初に話したのはT君。みんな恥ずかしがり屋で、何を言えばいいのか困っている様子。そこで私が質問をしました。
去年、チームメンバーのY君が彼にサッカーボールを買ってあげました。彼は、今年中学を卒業したのですが、体育専門の高校にサッカー選手として受かったのです。そのため、別の市に引っ越さなければなりません。Y君のサッカーボールが練習の役に立ったかと聞くと、うなずいていました。Y君の小さな心遣いが、彼の一生を変えるかもしれません。Y君は、今年も孤児院にサッカーボールを二つ寄付しました。
一番感動したのは、6人の中で孤児院滞在期間が最も長かったMちゃん。10年前に孤児院に来た時の話をして、覚えているかと聞いたら、首を振りながら泣き出してしまいました。
これからサポートを始めるSさんやそのほかのメンバー、孤児院の世話をしている御夫婦などにも話をしてもらって、大変いい時を持つことができました。タイの卒業式は直前まで予定が決まらないので困るのですが、彼らの人生の節目に来たいと思ったのは、私だけではないでしょう。
🎁 支援物資の配布
次男は職場で今回の旅行について同僚に話し、何人かが寄付をしてくれました。その中に、ホテルでもらえる小さな旅行用のシャンプーなどを大量にくれた人がいました。次男はホームレスシェルターで働いているのですが、多分そこで使うつもりで集めた物のおすそ分けでしょう。スーツケースが一杯になる量で、重量制限の23キロぎりぎりでした。
問題は、これを30人の子供たちにどう分けるか。結局、全部大きなテーブルの上に並べ、全員に袋を渡し、欲しいものを一斉に取ってもらうことにしました。
孤児院のダイニングはバーゲンセール状態。英語なので何がなんだからわからないままとりあえず袋に入れる子もいて、スマホで翻訳してあげました。生理用のタンポンもあったのですが、小さな女の子や男の子たちが取って袋から出し、何だろうと不思議がっているのを見て、みんな大爆笑。こんなもの上げて喜ぶのかなと思っていたのですが、意外に好評でした。これはまたやる価値あり。
🐕 タイの犬は可愛くない
キャンプの翌日、みんな里帰りの準備をしていました。去年入ったばかりのNちゃんは、いつも笑顔で朗らか。迎えに来てくれた車の方に向かって歩いていたのですが、突然全速力で戻ってきました。見ると、黒い犬に追っかけられています。どうやらこの犬は近所のお屋敷の番犬らしいのですが、家の敷地外にいつも放し飼いになっています。野良犬が用心棒を買って出ただけかもしれません。
僕が一緒に行ってあげるからとジェスチャーして、二人で歩いて行ったのですが、すぐ近くまで来て吠えています。タイでは犬をペットとして飼っている人は多いですが、ほとんどが番犬で、大きくて凶暴な犬が多いです。狂犬病も日本ほど珍しくはないそうですので、要注意。
🛠️ 作業と支援
今年頼まれた作業は、孤児院の塀の塗装と、その裏の土地のフェンスの修復作業。修復と言っても、ほぼすべて新しいものにしました。これは結構大変な仕事なので、教会の人主導で私たちはそのお手伝い。塗装は、子供たちに手伝ってもらった以外は、私たちでやりました。塗るより、塀の汚れを取る方が大変でした。
Y君はワーキングホリデーを利用してオーストラリアの鉱山で働いています。一週間働いて一週間休むというシステムで、その休みを利用して短期間ですが今年も来てくれました。鉱山の機材の錆を防ぐための塗装も彼の仕事の一つで、大型トラックでなければ運べないサイズのコンプレッサーを使っているそうです。彼が近くの店で小さなコンプレッサーを買ってくれて、塗装が終わった後、教会に寄付してくれました。
MちゃんとSちゃん姉妹は、孤児院に入っているわけではないのですが、メソトの教会がサポートしています。孤児院のCちゃんはMちゃんの同級生で、Mちゃんがお弁当を持ってこないこともあり、いつも同じ服を着ているので、教会の牧師さんに相談し、昼食代を出してあげています。お父さんが亡くなり、お母さんは家政婦の仕事をしているそうですが、一軒半日で収入は150バーツ、約730円です。それも、仕事があればの話。
ところが、この姉妹はすごく明るくてとてもかわいい。家が教会のすぐ近くにあり、そうと知らないで通りかかったときに、Sちゃんが家から飛び出してきて飴をみんなにくれました。見ると、家は、一部屋の掘立小屋。私が2012年にタイに最初に来た頃は、これよりももっとひどくて、壁もないような家がたくさんありましたが、それでも、チームのS君のごみ屋敷よりひどい住居です。
Sちゃんにお返しをしようと思って、ハワイから持ってきたお菓子を携え、Cちゃんと一緒に尋ねてみました。あいにくSちゃんはお友達の家に遊びに行っていませんでしたが、お母さんがいたので、いくらかお金を渡しました。学校がある間は教会がお昼ご飯代を出してくれると聞いていましたが、長い夏休み中はそれがないからです。
私は、お母さんに上げるようにと言ってMちゃんにお金を渡して、すぐに去りました。お母さんは家から出て来ませんでした。どう対処してよいか分からなかったのではないかと思います。Cちゃんに、あの子たちは本当に貧しいねと言ったら、リッチじゃないけど、それほど貧しくもないと答えました。えっ、と思ったのですが、そう言えば、Cちゃんも同じ境遇です。
私は、実は個人的にCちゃんをサポートしていて、今回も、小学校卒業祝いに中古のスマホを買ってあげました。8人兄弟の末っ子で、お父さんが亡くなってから家族は極貧状態。下の3人が孤児院に預けられました。お姉ちゃんのSちゃんは今年高校を卒業して、看護学校に入学するそうです。進学手続きのためか、二人ともキャンプ翌日に里帰りせず、孤児院に残っていました。
お別れの時に、Cちゃんが、車に乗ろうとしている私めがけて走ってきました。手製のカードを渡してくれたのですが、「私の二人目のお父さんへ」と書いてありました。年齢的には、私は彼女のおじいさんですが、ハグして別れました。私の教会が孤児院のサポートを止めるので、もう私が来なくなるのではないかと心配していたようです。再会を約束してお別れしました。
🤝 IREM の仲間たちと支援
私が属しているIREM(全米不動産管理協会)にも、個人的にサポートしてくださっている方が複数いらっしゃいます。Gさんもその一人で、今回もタイに来て塗装を手伝ってくれました。彼は不動産管理会社の社長さんですが、一緒に来てくれたAさんは保守担当ですので、こういうことは知識が豊富。ボロボロになった孤児院のソファーも直してくれて、見違えるようになりました。
サポートにご興味ある方や、行ってボランティアをしたい方は、ご連絡ください。
🌟 再会と成長
私は、最後の一晩、次男とバンコクで過ごしました。10年ほど前に孤児院を卒業したS君と妹のBちゃんがホテルに来てくれて、一緒に食事をしました。二人とも英語が好きで、今は英語の先生をしているのですが、特にBちゃんの英語が、ネイティブじゃないかと思うほど上達していてびっくり。日常会話もままならなかった孤児院時代からは、想像もできません。
それだけではありません。実は、私はBちゃんに関してあまり良くない思い出がありました。あれは確かBちゃんが卒業する前のクリスマス、スリウィッチャイ牧師に子供たちにプレゼントを買ってあげたいので、何か必要なものはないかと聞きました。彼に、靴を買ってあげて欲しいと言われ、子供たちの世話をしているビサヌがみんなを靴屋に連れて行ってくれました。
ところがBちゃん、「こんなかっこ悪い靴など履けない」と言っていたのだと思うのですが、買おうとしません。結局ビサヌが適当に彼女の靴を選んで全員の靴を購入しました。タイは、お隣のミャンマー、カンボジア、ラオスほど貧しい国ではありませんので、孤児院の子供でも、高校生にもなれば、学校の上履きみたいな安物は履きたくないのでしょう。それ以外にも、不満が多い子でしたので、あまりいい印象は持っていなかったのです。
ところが10年ぶりに会って、すっかり変わっていました。「私の人生は、どこに行っても神様が周りに本当にやさしい人を送ってくださり、本当に祝福されている」と話していました。私と次男、そして今回来なかった家内のためにお土産を持ってきてくれ、帰るときにはお祈りをしようと言われて、祈って別れました。彼女の人生の一部を担えて、嬉しいです。
このブログを動画でチェック
