アメリカで2番目に買ったセントルイスの家

 

1980年代初頭のセントルイスで

 セントルイスに住み始めて2年ほどたったある日、私は新聞の3行広告を見ていました。アメリカの新聞は地方紙がほとんどで、アパートやマイホームを探すときは、広告欄の3行広告を見ます。アメリカは、当時(80年代初頭)から住宅の賃貸仲介という職業はほとんどなく、新聞の広告欄を見て自分で探すというのが普通でした。このインターネットの普及した時代に、日本にまだこの職業があるということ自体が不思議で、多分、そのうちワシントン条約で絶滅に瀕している職種の一つに指定されるのではないかと思います。

 

激安物件との出会い

 私は、別にアパートを探していたわけではなかったのですが、よほど暇だったようで、通っていた大学の図書館の新聞を見ていたのです。ついでに売り物件のセクションも見てみました。私はまだ大学院生で、大学の日本語講師のアルバイトをしていただけでしたし、家内も決して高給取りではありませんでしたので、家など買えるわけはなかったのですが、もしかしたら激安の物件があるかもしれないと思ったのです。

すると、何と$15,000の家を、売主が仲介業者を雇わないで自分で売っていました。$3,000の頭金で、残りの$12,000は売主が金利なしの5年ローンを出してくれるというのです。つまり、毎月$200を売り主に直接支払って、5年後には完済というわけです。私の記憶では、当時の金利はまだ13ー14%くらいだったと思います。13%だったとすると、$8,790借りたとして、ちょうど毎月の支払いが$200になります。つまり、$8,790+$3,000(頭金)=$11,790で購入するのとほぼ同じだということになります。

 

もちろん訳あり物件

早速見に行ったところ、なぜそんなに安いのかすぐにわかりました。家がかなり傾いているのです。見渡すと、周りの家もほとんどみんな傾いています。売主の話では、この辺りは昔、粘土を掘っていたらしく、その跡を埋め立てて家を建てたそうです。地が固まる前に家を建ててしまったので、沈下したわけです。全体的に一様に沈下していればまだいいのですが、向かって右側が一番高く、中央辺りまでかなりの角度で傾いており、中央から左にかけてはほぼ平坦でした。

家に入ってみると、ダイニングルームの壁が割れて、少し落ちていました。さらに地下室に行ってみると、ダイニングの下あたりのコンクリートの壁が大きく割れ、ただひびが入っているだけではなく、今にも折れてしまいそうな感じでした。コンクリートの壁は、それ自体が重いし、その上に家が乗っかっていますので、重さでかなり沈んでいました。それに比べて地下室の中央はほとんど沈下していませんでした。

 

傾いた家を修理・・・

 住めないことはないし、毎月の支払いはアパート代よりも安かったので、買うことにしました。よく家内が止めなかったものだと思います。私が買主側の仲介業者を雇っていたら、多分引き留められたでしょう。引っ越してすぐにわかったことですが、お湯が出ませんでした。パイプが錆びて詰まったようです。その取替えは自分ではできませんので、業者に頼みました。それまではコンロでお湯を沸かしてお風呂に入りました。

地下室の壁をどうにかしなければいけないと思っていたのですが、家内の義理の兄が隣のカンザス州に住んでおり、大工仕事の上手な人でしたので、来てもらって、地下室のコンクリートの壁の内側に板を張り巡らし、その中にコンクリートを流し込んで壁を厚くして、割れ目をふさぐという作業をしました。コンクリートはすぐに乾いて固まってしまうので、急がなければいけないと言われ、当時妊娠していた家内も手伝ってくれました。

 

傾いた家をさらに修理・・・

近所の家の多くは、沈下した地下室のコンクリートの壁と家の間にブロックなどを敷いて、家を平たんにしていました。私もそうしたいと思ったのですが、素人で何の機械も持ってない私にそんなことができるわけはありません。そこで思いついたのが、業務用のジャッキをレンタルすることでした。沈下している家の左半分全体を上げるには、いくつものジャッキをレンタルして一斉に上げなければならないと思いますが、そこまでお金と人がいないし、多分技術もないので、1個だけ借りて、家の中央を少し上げ、右半分と左半分の傾きを同程度にすることによって、その角度を緩やかにしようと思ったわけです。

アイデアとしては簡単ですが、実際はそううまくは行きませんでした。地下室に入って家の真ん中にジャッキを取り付け、バーをぐるぐる回しながら最初の数センチは問題なく上がりましたが、途中から急に重くなり、家のあちこちからぎしぎしという音がし始めました。もう数センチ上げたかったのですが、家が崩壊して私が生き埋めになる可能性が頭をよぎりました。いい加減なところで諦めましたが、少しはましになりました。

 

そして売却

セントルイスから日本に帰ることになり、家を売ることにしたのですが、雇った仲介業者は、あれほど苦労して直したにもかかわらず、$12,000でないと売れないと言い張りました。購入価格の$15,000は、金利がゼロでしたので、実質的にもっと低かったということは分かっていましたが、あれだけ直して$12,000は安すぎると議論しましたが、納得してくれませんでした。ところが、売りに出したその日に、元の持ち主がすぐに買い戻してくれました。もっと高くても買ってくれただろうとは思いましたが、今更文句を言ってもどうにもなりません。月$200の支払いは、アパートに住んだとしてもどうせ出ていくお金ですし、修理代は、売却手取り金で何とか元は取れました。

今になって思うと、よくあんなことをしたものだと思います。良く言えば自分のことながら感心しますし、悪く言えば呆れます。私は当時まだ20代後半でしたが、あのチャレンジ精神は、歳をとっても忘れないようにしたいものです。特に日本人は、何もできない私がよくそんなことをしたものだと驚くかもしれませんが、何でも自分でしなければならなかった開拓精神の残っているアメリカでは、驚くようなことではありません。グーグルで調べたところ、この家はもう更地になっていました。でも、家内と私の中には、良い想い出がしっかり残っています。

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