Youtubeで不動産コラムをながら聴き

Merry Christmas

いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。

(ルカによる福音書214節、キリスト降誕の讃美歌)

 

このサイトは不動産のブログですが、私はボランティアですけど、これでも一応牧師をしていますので、クリスマスくらいは聖書の話をさせてください。息子が働いているホームレス・シェルターでボランティアをしている日系外科医のAさんが、サマリタン・パースと言うキリスト教の慈善団体を通して、去年7月にイラクのモースルに行きました。サマリタン・パースとは、東日本大震災の時にも東北で活動をしたアメリカの団体で、モースルで救急野戦病院を運営していました。そこには各国からボランティアの医師や看護師が集まってくるのですが、Aさんも、歴史の教科書ではニネベと呼ばれているこの歴史的な街で、病院で唯一の外科医として一か月を過ごすことにしました。

モースルに着いたその日、落ち着く暇もなく、さっそく自爆テロに巻き込まれた市民の手術が始まりました。爆発でけがをした人の手術などしたことのない彼は、とても戸惑ったそうです。幸い、6月を担当した外科医がまだ帰国する前で、彼の指示に従って手術は無事終わりました。いきなり自分の無能さを思い知らされた彼は、逃げ出したい気持ちでいっぱいになったそうですが、こんな自分でも、帰ってしまったら代わりの人は誰もいないと思い、踏みとどまりました。

45度を超える暑さの中、エアコンをつけても汗だくになるテントの手術室で、毎日のように手術をする生活が始まりました。2016年の11からモースルで活動を始めたサマリタン・パースは、彼が着いた時点で、既に2306人の患者を治療し、1263回の手術をしたそうです。16回の手術と言う計算になります。モースルがISから解放されたという報道がされた後も、小競り合いは続き、けが人は絶えませんでした。

同じモースルで、国境なき医師団も活動をしていました。地元の人たちは、彼らの病院をIS病院と呼んでいました。彼らは、IS戦闘員の治療をしていたからです。この二つの団体は、お互い協力しながら活動しています。ある日、このIS病院から、本人に聞いたわけではありませんが、IS戦闘員だと思われる少年が送られてきました。足を切断したのですが、術後、患部が感染し、その治療のために送られてきたのです。

彼は無情な殺人魔ではなく、これから自分がどうなるのかと怯えているティーンエージャーでした。Aさんは、彼のために時間を取って楽しい時を持つように努め、十日ほどで退院しました。その後、イラク人の牧師から聞いたところによると、この少年とそのお母さんは、クリスチャンになったそうです。殺さなくても、ISが一人減りました。

 

私はハワイで牧師をしていますので、日本人カップルの結婚式をすることが年に何回かありますが、結婚式でよく使われる聖書の一節を最後にご紹介しましょう。

 

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。(コリント人への第一の手紙1348節)

 

モースルでボランティアしたあるカナダ人の看護師が、この聖書の言葉を次のように書き換えました。もちろん原文は英語ですが、日本語に訳して掲載しておきます。

 

 愛は言葉の壁を越えて寛容であり、愛は怯えてトラウマを抱えている子供に対して親切です。また自分をほかの人と比べたり高慢になったりしません。人と鶏肉を取り合ったり、他のスタッフに対して短気になったりしません。カナダ人がいつも正しいとは主張せず、いらいらしたり、人を赦さなかったりしません。不正、狙撃者、簡易爆発物、地雷、死に瀕した子供、悲しんでいる親、痛み、苦しみを喜ばず、歩けるようになった退院患者、魂の救い、また重体患者の一つ一つの息を喜びます。愛は衰弱した心の痛みをがまんし、このような状況下でも神は良い方だと信じ、イラクの平和と将来を期待し、遠くで聞こえる爆発音を耐え忍び、「けが人がここまで来ることができますように」と祈ります。愛は決して絶えることがありません。